ロックミュージック・ヘビーメタルのレジェンド、オジー・オズボーンさんが22日、死去しました。76歳でした。 オジー・オズボーン(本名・ジョン・マイケル・オズボーン)さんは、イギリスのバーミンガム出身で、ヘビーメタルの礎を築いたとされるバンド、『ブラック・サバス』のボーカルとして1970年にデビューしました。
出典: “ヘビーメタルのレジェンド” オジー・オズボーンさんが死去 76歳 | 国際 - ABEMA TIMES

2025年7月22日、ヘヴィメタル界の「帝王」オジー・オズボーンが76歳でこの世を去りました。世界中が悲しみに暮れる中、彼の破天荒なキャリアと共に、ある意外な友情が再び脚光を浴びています。

それは、日本の大人気ご当地キャラクター「ふなっしー」との国境やジャンルを超えた交流です。

「なぜオジーがふなっしーと?」多くの人がそう思ったことでしょう。しかし、この二人の間には、単なる話題作りでは片付けられない、リスペクトと本物の友情がありました。

ふなっしーのパフォーマンスがオジーから影響を受けていたという驚きの事実から、伝説の「プール落ち事件」、そして日本の音楽フェスでの感動の再会まで…。

この記事では、ヘヴィメタルの帝王が見せた意外な素顔と、梨の妖精が起こした奇跡の物語を、当時の熱狂と共に詳しく振り返ります。大手メディアでは語られない、二人の心温まる伝説の秘話。

きっとあなたも、この異色コンビが大好きになるはずです。🤘🍐

オジー・オズボーン氏、逝去 - メタルの帝王が遺した偉大な功績

ヘヴィメタル界に激震が走りました。2025年7月22日、「メタルの帝王」として世界中のファンに愛されたオジー・オズボーン氏が76歳で逝去したことが、家族によって公表されました。

彼の名は、伝説的バンド「ブラック・サバス」の初代ボーカリストとして、そして成功を収めたソロアーティストとして、音楽史に永遠に刻まれています。🎸

1970年にブラック・サバスとしてデビューし、『パラノイド』などの楽曲でヘヴィメタルの礎を築いたオジー。バンド脱退後もその勢いは止まらず、『クレイジー・トレイン』や『ミスター・クロウリー』といった名曲を次々と生み出し、ソロとしても絶大な人気を博しました。

その功績はグラミー賞受賞という形でも認められています。

しかし、その輝かしいキャリアの裏で、彼は長年パーキンソン病と闘っていました。晩年は歩行も困難な状態だったと伝えられていますが、それでも彼はステージへの情熱を失いませんでした。

逝去のわずか数週間前、2025年7月5日には、故郷バーミンガムでブラック・サバスとして感動的な「最後のコンサート」を敢行したばかり。そのライブは映画化も決定しており、彼の最後の勇姿はこれからも多くの人々の心に焼き付き続けるでしょう。

まさに、最後までロックンローラーであり続けた、伝説の生涯でした。😢

関連ポスト / SNSの反応

#オジーオズボーン が逝去した。ブラックサバス後の過激な言動の印象が強過ぎて、特に鳩やコウモリを食いちぎったエピソードが強烈で、こんな予測不能で最高な人が死んだなんて現実味がない。2010年にLOUD PARKで見て圧倒されたっけな。ヘビメタの大きな時代が終わった。天国でも暴れてくれよ🤘

返信先:@funassyi ふなちゃん💙 だいじょうぶ梨かぁ😢 テレビでオジーさんの逝去を知りました ふなちゃんが地上に降臨して あの番組が有って 大好きなご本人にお会い出来て 幸せいっぱいの ひと時が過ごせた梨なぁ🇬🇧🏘 🎸⚡️🎤〃💦💦💦⎛˶◕ᢦ◕˶ 🌻⎞📖💎 オジーオズボーンさんのご冥福を 心よりお祈り申し上げます🙏✨

オジーオズボーン逝去にも衝撃を受けているが🐰は渋谷陽一氏が旅だった悲しみが大きい。ROよりも田舎の子どもだった私にはこっそり聴くNHK📻のサウンドストリートこそが渋谷氏の姿だった。月曜日の元春がオルタナ寄りで渋谷氏は王道まっしぐらのロックを教えてくれた。本当にありがとうございました。

参考リンク

運命の初対面!オジーとふなっしー、LAの豪邸でまさかの出会い

すべての始まりは、2014年12月に放送された日本テレビ系「行列のできる法律相談所」の企画でした。梨の妖精界からやってきたふなっしーは、常々「パフォーマンスはオジー・オズボーンの影響なっしー!」と公言。

その激しいヘッドバンギングやジャンプは、憧れのオジーへのリスペクトの表れだったのです。そんなふなっしーの夢を叶えるため、番組はなんとオジー本人への対面オファーを敢行!✈️

驚くべきことに、オジー側はスタッフが渡したふなっしーのパフォーマンス動画を見てこれを快諾! 「面白いじゃないか!」と、ビバリーヒルズにある自身の超豪邸にふなっしーを招待したのです。

夢の対面に、ふなっしーはガチガチに緊張。しかし、そこは百戦錬磨のエンターテイナー。「I'm Japanese pear fairy. pear juice bushaaa!(日本の梨の妖精なっしー!梨汁ブシャー!)」と英語で堂々と自己紹介し、オジーを「ワオ!」と感心させました。

この出会いは、単なるテレビの企画では終わりませんでした。「闇の帝王」と「梨の妖精」という、誰も想像しなかった異色の組み合わせが、奇跡的な化学反応を起こし、日米をまたにかける伝説の友情物語の幕開けとなったのです。

まさかこの時、後に日本の音楽フェスで共演することになるとは、誰が予想できたでしょうか?✨

関連ポスト / SNSの反応

オジーオズボーンの訃報が流れてきています。ふなっしー悲しんでいるだろうなぁ😭 この頃が懐かしい🥺 ふなっしー、憧れのオジー・オズボーンと初対面 | ORICON NEWS oricon.co.jp/news/2045123/f…

ふなっしーさんが憧れのオジーオズボーンと対面✨ そして夢の共演✨ 最高の想い出をありがとうございます ご冥福をお祈りいたします

ふなっしーを通して、オジーを知りました。 オジーと共演できた時のふなっしーの興奮と嬉しさが忘れられません。 ふなっしーの夢を叶えてくださり、ありがとうございました! #オジーオズボーン #ヘビメタ #ふなっしー

参考リンク

伝説のプール事件!オジー邸での「クレイジー・トレイン」共演秘話

オジー邸の庭で、夢のようなセッションが実現しました!ふなっしーがオジーへのリスペクトを込めて、得意のヘッドバンギングやジャンプを披露すると、オジーは「俺の曲でやってみろ!」とノリノリに。

流れてきたのは、もちろんあの名曲「Crazy Train」!🎸🎶

ふなっしーはオジー本人を前に、楽曲に合わせて渾身のヘドバンを炸裂!これにはオジーも大喜びで、自らもステージさながらのパフォーマンスで応戦。まさに「帝王」と「妖精」による、前代未聞のヘッドバンギング対決が繰り広げられました。

しかし、ハイライトはこれだけではありませんでした。セッションが最高潮に達したその時、オジーはニヤリと笑い、おもむろにバケツを手に取り、ふなっしーに得意の“水ぶっかけ攻撃”をお見舞い!

「冷たいなっしー!」と叫びながらも、ふなっしーは果敢に反撃を試みますが…なんと、足を滑らせてそのまま豪邸のプールへドボン!💦 この「プール落ち事件」は、二人の共演を象徴する伝説の爆笑シーンとして、今なおファンの間で語り継がれています。

びしょ濡れのふなっしーに、オジーは「今度日本でライブをするときは、必ず呼ぶから俺のステージに立ってみないか?」と驚きのラブコール!ふなっしーはもちろん「オフコース!(もちろん!)」と即答。

この約束が、後の日本のステージで果たされることになるとは、この時はまだ誰も知りませんでした。😂

関連ポスト / SNSの反応

オジーオズボーンが亡くなったと… 先週、引退コンサートをしたばかりだったのに…子供の頃、MTVのオズボーンズを楽しみに見てた私としてはガチで悲しい😭 今からクレイジートレインを朝まで無限リピートです…princess of darkness 😢

何を隠そう、高校時代オジーオズボーンのコピーバンドをやってました。デスメタルの先輩と共に。クレイジートレイン、ミスタークローリー、そしてgoodbay to romance 。やすらかに

ドラムやって、初めてバンドで合わせた曲がオジーオズボーンのクレイジートレインだったな。BURRNたくさん読んでたから、凄いクレイジーだけどたくさんの人から愛されてるんだろうなって思ってた。ありがとうありがとう。

参考リンク

OZZFEST 2015で再会!ステージでの伝説の梨汁コラボが炸裂

LAでの約束は、本物でした。2015年11月、千葉・幕張メッセで開催されたオジー主催のロックフェス「Ozzfest Japan 2015」。そのヘッドライナーを務める「オジー・オズボーン&フレンズ」のステージに、なんと特別ゲストとしてふなっしーの参加が緊急決定したのです!🎉

このサプライズ発表に、会場のメタルファンも騒然。LAでの共演を知るファンは歓喜し、知らないファンは「なぜここにふなっしーが!?」と度肝を抜かれました。そして迎えた本番、大観衆の前に登場したふなっしーは、オジーと共にステージで大暴れ!

しかし、オジー流の歓迎はやはり過激でした。LAでのバケツの水かけからさらにスケールアップし、今度はなんと**消火ホースのような機材で大量の泡や水をふなっしーに噴射!

** 🚿 まるで嵐のような“水の洗礼”を受け、ふなっしーはあっという間に泡まみれに。それでも彼は怯むことなく、全身でそのカオスな状況を楽しみ、会場のボルテージは最高潮に達しました。

この前代未聞の光景は、Ozzfestの歴史の中でも特に異彩を放つ、伝説的な瞬間として多くのファンの記憶に刻まれました。トム・モレロ(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)といった他の共演者たちも、このクレイジーなコラボレーションを笑顔で見守っており、オジーの懐の深さと、ジャンルを超えて楽しむロックの精神を象徴する一幕となりました。🤘

関連メディア

Ozzfest Japan 2015での伝説の共演!泡まみれになるふなっしーの勇姿をご覧ください!

「Paranoid」の演奏中に繰り広げられた、カオスで最高なコラボレーションの様子はこちら。

関連ポスト / SNSの反応

天国で再会したオジーオズボーンとランディーローズ😖💦

信じられない…毎日オジーオズボーンもブラックサバスもお店のBGMで聴いてるから聴かない日はないんだよね。何というかこの前のフェスでの一連のライブでもう悔いはなかったんじゃないかな?天国でやっとランディローズと再会出来ますね。R.I.P

R.I.P オジーオズボーン。 10年くらい前、 オズフェストで来日した際にお仕事でライブを拝見しました。もう見れないなんて悲しい。

参考リンク

なぜ人々は惹きつけられた?「帝王と妖精」異色コラボが愛された理由

「ヘヴィメタルの帝王」と「日本の梨の妖精」。このあまりにもかけ離れた存在の共演は、なぜこれほどまでに多くの人々の心を掴んだのでしょうか?その理由は、単なる「意外性」だけではありませんでした。🤔

第一に、このコラボレーションがリスペクトに基づいていた点が挙げられます。ふなっしーが純粋にオジーのファンであり、彼のパフォーマンスに影響を受けていたという背景が、この交流に深みを与えました。

ただの話題作りではなく、憧れの存在と共演するという、夢のあるストーリーがそこにはあったのです。💖

第二に、オジー・オズボーンの人間的な魅力が全開だったことです。「闇の帝王」という恐ろしい異名とは裏腹に、彼はふなっしーとの交流を心から楽しんでいるように見えました。

プールに突き落としたり、泡まみれにしたりといった過激なイタズラも、彼の茶目っ気と、相手を受け入れる懐の深さの表れ。そのギャップが、ファンに新たな魅力を発見させました。

そして最後に、この共演が音楽や文化、国境の壁を軽々と乗り越える「多様性」の象徴となったことも大きいでしょう。かつて同じOzzfestで日本のアイドルが出演した際に賛否両論が巻き起こったこともありましたが、オジー自らがふなっしーをステージに招き入れたことで、彼の寛容な姿勢が示されました。

この出来事は、どんな存在でも受け入れるロックの素晴らしい精神を体現していたのです。🌍✨

関連ポスト / SNSの反応

オジーオズボーン!ありがとう!!ロック好きになった理由😭

オジーオズボーンの引退はパーキンソン病でもう体が動かない、ということが理由なので本当にブラックサバスの再結成なども無い、ということなんですよね……悲しい

オジーがふなっしーに与えた影響、そして逆もまた然り?

ふなっしーの代名詞ともいえる、あの激しいヘッドバンギングやキレのあるジャンプ。これがオジー・オズボーンのステージパフォーマンスへのリスペクトから生まれたものであることは、今や有名な逸話です。

ふなっしーはテレビ番組で「オジーがいなければ今の自分はいないなっしー!」とまで語り、本人を前にその動きを再現して見せました。梨の妖精の魂には、間違いなくメタルの帝王の血が流れていたのです。🤘

では、逆にオジーはふなっしーから何を得たのでしょうか?直接的な影響は定かではありませんが、この交流を通じて、彼の意外な一面が世界中に知れ渡ったことは間違いありません。

ステージ上での狂気的なイメージとはかけ離れた、無邪気で楽しそうな笑顔。自分とは全く異なる文化のキャラクターを全力で受け入れ、一緒にふざけるおおらかさ。こうした人間味あふれる姿は、多くのファンにとって新鮮な驚きであり、彼の魅力をさらに深めるきっかけとなりました。😄

この共演は、ふなっしーにとっては「夢を叶えた」瞬間であり、オジーにとっては「新たな楽しみを発見した」瞬間だったのかもしれません。ふなっしーは後に「何でも言ってみるもんだなっしー」と語っていますが、その純粋な情熱と行動力が、世代も国境もジャンルも超えた奇跡の化学反応を生み出しました。

エンターテインメントの歴史において、これほど心温まる「意外な成功例」は、そう多くはないでしょう。✨

関連ポスト / SNSの反応

オジー、ありがとう。 最後の命の火を燃やしてバーミンガムのステージに出たんだね。 何度もライブ行った。素晴らしい楽曲と愛されるキャラクター。 とんでもないエピソードも山ほどあったけど。 オンもオフもオジーはオジーなのが最高だった。 向こうでランディに会えるといいね👍 #オジーオズボーン

オジーオズボーンの訃報はまじでショック メタルキッズだった学生時代、レジェンドだったな 曲はもちろんパフォーマンスはやや潔癖な自分的にはありえないことしてた 亡くなって本当に悲しいけど、あんなことやってこの歳まで生きてこられたこと、生きてくれたことに感謝

決して歌が上手いわけではないし、作詞も作曲も相棒任せで苦手だったらしい。それでもあのキャラとパフォーマンスでヘヴィメタル界の第一人者の地位を長年維持してきた。こんな人はもう絶対出てこないだろう。ご冥福を・・・ #オジーオズボーン

まとめ:帝王と妖精が遺した、笑いと愛に満ちた伝説

ヘヴィメタルの帝王、オジー・オズボーンの逝去という悲しいニュースをきっかけに、彼と日本のキャラクター「ふなっしー」との間にあった、驚くべき友情の物語を振り返りました。

この記事で追ってきたポイントをまとめます。

  1. 運命の出会い: ふなっしーの「オジーへの憧れ」がきっかけとなり、2014年にテレビ番組の企画でLAのオジー邸で初対面が実現しました。
  2. 伝説の共演とプール事件: オジーの代表曲「Crazy Train」でのセッション中に、オジーがふなっしーをプールに突き落とすという爆笑ハプニングが発生。

これが二人の距離を縮めました。

  1. 約束のステージ: LAで交わされた「日本のステージで共演しよう」という約束は、翌2015年の「Ozzfest Japan」で現実に。オジーは消火ホースでふなっしーを泡まみれにするという、最高の歓迎で迎えました。
  2. 愛された理由: この異色のコラボが多くの人に愛されたのは、単なる意外性だけでなく、ふなっしーの純粋なリスペクトと、それに応えたオジーの人間的な魅力、そしてジャンルを超えた多様性を受け入れるロックの精神があったからです。

「闇の帝王」と「梨の妖精」。一見すれば交わることのない二つの世界が、リスペクトという架け橋で結ばれたとき、そこには国境や文化を超えた、笑いと感動の物語が生まれました。

オジー・オズボーンは、音楽史に偉大な足跡を残しただけでなく、その温かい人柄で、私たちに忘れられない夢のような光景を見せてくれました。彼の魂が安らかであることを祈ると共に、この素晴らしい友情の物語が、これからも語り継がれていくことを願っています。