モデルの桐島かれんさんが、7月10日午後1時放送の黒柳徹子さんの長寿トーク番組「徹子の部屋」(テレビ朝日系)に出演する。昨年60歳になった。長女に子供が生まれ、一緒にタイへ記念の家族旅行を楽しんだという。
10年ほど前にアルツハイマー型認知症を発症した母の桐島洋子さんは不参加だった。というのも、洋子さんは環境の変化で不安になり、長時間の外出は難しいという。とはいえ、88歳の今も元気に過ごしており、肌のつやもよく、歯切れよく会話が進む時もあるという。
出典: 桐島かれん:昨年還暦に 家族でタイへ記念旅行 88歳の認知症の母・桐島洋子は肌つやもよく 「徹子の部屋」で - 毎日キレイ

「元祖翔んでる女」として一世を風靡したエッセイスト、桐島洋子さん。その名前が今、再び大きな注目を集めています。きっかけは、2025年7月10日に娘である桐島かれんさんが『徹子の部屋』に出演し、母・洋子さんの現在について語ること。

番組では、アルツハイマー型認知症を患いながらも、88歳にしてなお輝きを失わない母の姿が明かされます。この放送を機に、「桐島洋子とは一体どんな人物だったのか?」「特に、常識破りと言われた“若い頃”はどんな生き方をしていたのか?」と、彼女の人生のルーツに関心が集まっているのです。

この記事では、多くの人が知らない桐島洋子さんの若い頃に焦点を当て、裕福な家庭からの没落、文藝春秋での記者時代、未婚の母としての決断、そして世界を舞台にした冒険まで、その波乱万丈な人生の原点が、後の彼女の生き方や哲学、そして現在の姿にどう繋がっているのかを、深く掘り下げていきます。

彼女の生き様は、きっと現代を生きる私たちに「自分らしく生きる」ためのヒントを与えてくれるはずです。

桐島洋子とは何者?「元祖翔んでる女」の伝説と若い頃の衝撃

桐島洋子さんとは、一体どのような人物なのでしょうか?彼女は1937年、東京に生まれたエッセイストであり、ノンフィクション作家です。しかし、彼女を語る上で欠かせないのが「元祖翔んでる女」というキャッチフレーズ。

これは1970年代に流行語にもなった言葉で、当時の常識に囚われない彼女の奔放で自由な生き方を象徴しています。まさに、時代を先取りするアイコンでした✨

では、なぜ今、桐島洋子さんの「若い頃」がこれほどまでに注目されているのでしょうか?その最大の理由は、2025年7月10日に長女でモデルの桐島かれんさんが『徹子の部屋』に出演し、母である洋子さんの人生や現在の状況について語ることにあります。

番組では、洋子さんがアルツハイマー型認知症を患っていることや、それでもなお元気な様子が明かされるとあり、彼女のパワフルな人生の原点である「若い頃」の生き様にあらためて光が当たっているのです。

彼女の人生は、まさに一本の映画のよう。未婚の母として3人の子供を育て上げ、作家として大宅壮一ノンフィクション賞を受賞、世界中を旅し、常に自分の意志で人生を切り拓いてきました。

そのエネルギッシュな生き方のすべては、多感な「若い頃」の経験に凝縮されていると言っても過言ではありません。この記事を通して、伝説の女性・桐島洋子の知られざる素顔とその魅力の根源に迫っていきましょう。

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桐島洋子の原点。三菱財閥の祖父と、独立心を育んだ幼少期

桐島洋子さんの「翔んでる」生き方のルーツは、その特異な生い立ちにあります。彼女は、祖父が三菱財閥の大番頭という、非常に裕福な家庭に生まれました。父も三菱に勤務し、幼少期の一時期は父が新聞社を経営していた上海で、高層ホテルのスイートルームで暮らすという、まるでお姫様のような生活を送っていました。

しかし、その生活は長くは続きません。

1945年の敗戦を機に、一家の運命は暗転します。日本に引き揚げた後、父が病に倒れ、財産はすべて失われました。昨日までの豪奢な暮らしから一転、日々の食事にも困るほどの困窮生活が始まったのです。

この壮絶な経験が、彼女の精神を鍛え上げました。家計を支えるため保険外交員として働く母からは、常に「どんなことがあっても、自立して生きていけるように能力を身につけなさい」と言い聞かせられて育ちます。

この母の教えが、後の桐島洋子の「何者にも頼らず、自分の足で立つ」という強烈な独立心の礎となったのです。

また、戦後に移り住んだ神奈川県葉山の自然豊かな環境も、彼女の人格形成に大きな影響を与えました。毎日、山や海を駆け巡る中で、「力を抜くこと」や「自分の身は自分で守る」という感覚を体で覚えたと言います。

この幼少期の経験こそが、裕福な世界の常識と、生きるか死ぬかのサバイバル感覚、その両方を知る彼女ならではの、ユニークでたくましいバランス感覚を育んだのです。😲

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20代の鮮烈デビュー!文藝春秋の記者から人気作家への道

高校を卒業した桐島洋子さんは、母の「自立せよ」という教えを胸に、大手出版社である文藝春秋の門を叩きます。最初こそ販売部に配属されましたが、彼女の才能はすぐに開花します。

読者からの手紙に、持ち前の筆まめさで丁寧な返事を書き続けたところ、その文章力が社内で評判となり、わずか3年で編集局へ異動。20歳という若さで、雑誌『文藝春秋』の記者としてのキャリアをスタートさせたのです。

まさに、才能が隠しきれなかったというエピソードですね!✍️

文藝春秋で9年間、記者として腕を磨いた後、彼女はフリーのジャーナリストとして独立。そして1970年、処女作『渚と澪と舵』で鮮烈な作家デビューを飾ります。しかし、彼女の名を不動のものにしたのは、その2年後でした。

1972年、アメリカでの放浪体験を赤裸々に綴ったノンフィクション『淋しいアメリカ人』を発表。これが大きな評価を受け、なんと第3回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞します。

これは、ジャーナリズムの世界で最も権威ある賞の一つ。20代にして、彼女は単なる流行の寵児ではなく、実力派の作家・ジャーナリストとしての地位を確立したのです。この受賞が、彼女のその後の人生をさらに自由で大胆なものにしていく大きなきっかけとなりました。

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常識を覆した「未婚の母」宣言とベストセラー『聡明な女は料理がうまい』

作家として成功を収めた桐島洋子さんですが、彼女の「若い頃」を語る上で最も衝撃的なのが、未婚のまま3人の子供の母になったという決断です。当時、既婚者だったアメリカ人男性との間に、27歳で長女かれんさん、28歳で次女ノエルさん、31歳で長男ローランドさんを出産。

1970年代の日本において、これは社会の常識を根底から覆す、あまりにも大胆な選択でした。

その行動力は、想像を絶します。長女かれんさんを妊娠した時、彼女はまだ文藝春秋に在職中。仕事を辞めたくなかった彼女は、なんと大きなブラウスで妊娠を隠し通し、出産予定日の2ヶ月前から病気休暇を取得。

出産後、わずか1週間で職場に復帰したというから驚きです!🤯 さらに、次女ノエルさんに至っては、ヨーロッパ旅行からの帰りの船上で出産。その理由は「船の上なら医療費がかからないから」という、なんとも彼女らしい合理的なものでした。

こうしたパワフルな子育てと並行して、彼女の文筆活動はさらに輝きを増します。1976年に刊行した『聡明な女は料理がうまい』は、記録的なベストセラーに。多くの女性たちが、彼女の提唱する自立したライフスタイルに憧れました。

しかし、桐島さん自身はこの本を単なるレシピ本ではなく、「人生論であり、生活論」だと語っています。料理を通して、いかに人生を豊かに、自分らしく生きるか。その哲学が、当時の女性たちの心を強く掴んだのです。

この本は、彼女がただの「翔んでる女」ではなく、多くの人々に影響を与える思想家であったことを証明しています。

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自由を求め世界へ!ベトナム戦争従軍からバンクーバー移住までの冒険

日本で作家として、そして母として確固たる地位を築いた後も、桐島洋子さんの冒険は終わりませんでした。彼女の魂は常に「自由」を求め、日本という枠を飛び越えていきます。✈️

長男ローランドさんを出産した後、彼女は子供たちを連れてアメリカへ。ニューヨーク郊外のイーストハンプトンに大きな家を借り、1年間家族で暮らしました。これは、ベストセラーの印税があったからこそ実現できた、なんともスケールの大きな話です。

しかし、彼女はただ優雅に暮らすだけではありませんでした。フリーランスのジャーナリストとして、なんとベトナム戦争の最前線にまで赴いたのです。銃弾が飛び交う戦場での経験は、彼女の人生観を大きく揺さぶり、後の作品に深い影響を与えました。

彼女の人生は、まさに「旅」そのもの。一つの場所に安住することなく、常に新しい刺激を求めて世界を巡りました。そして、子育てが一段落した50代になると、人生の成熟期を意味する「林住期(りんじゅうき)」を宣言。

カナダのバンクーバーに家を購入し、1年の3分の1を海外で過ごすという、新しいライフスタイルをスタートさせます。

若い頃の海外放浪から、戦場での取材、そしてバンクーバーでの穏やかな生活へ。桐島洋子さんの人生は、常に変化し続けることで豊かさを増していきました。そのダイナミックな生き方は、「人生のステージごとに楽しみ方がある」ということを、私たちに教えてくれているようです。

若い頃の生き様が今に。娘が語る母・桐島洋子の現在と認知症

あれほどエネルギッシュに世界を駆け巡った桐島洋子さんですが、近年、大きな転機を迎えます。2014年、アルツハイマー型認知症を発症したのです。これにより、彼女が心血を注いでいた自叙伝『ペガサスの記憶』の執筆は中断を余儀なくされました。

しかし、彼女の物語はここで終わりませんでした。なんと、長女かれんさん、次女ノエルさん、長男ローランドさんの3人の子供たちが母の意志を継ぎ、物語を書き継いで完成させたのです。

これは、彼女が若い頃からその背中で教えてきた「家族の絆」と「たくましさ」の結晶と言えるでしょう。

娘のかれんさんが『徹子の部屋』で語ったところによると、現在88歳の洋子さんは、環境の変化に弱くなったため長時間の外出は難しいものの、肌つやも良く、元気な様子だといいます。

最近のことは忘れがちでも、若い頃のことは驚くほど鮮明に覚えていて、歯切れよく会話ができる時もあるそうです。家族で昔なじみのレストランに行き、思い出話をすると、とても嬉しそうな表情を見せるとのこと。😊

桐島洋子さんの人生は、常に「DOer(ドゥーアー)」=行動する人、という哲学に貫かれています。結果を恐れず、まず行動する。その精神が、若い頃の常識破りな生き方を生み出しました。

そして今、認知症という新たな現実と向き合う中でも、彼女が築き上げてきた人生の記憶や家族との絆は、色褪せることなく輝き続けています。若い頃の破天荒な経験のすべてが、現在の穏やかで、しかし芯の通った彼女の姿を形作っているのです。

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テレビに間に合ったー📺 徹子の部屋😊 私は桐島カレンさんのお母さん、 桐島洋子さんがアルツハイマーを発症されるまで、すごく可愛がっていただきました いつもご自宅でご飯作ってくださって呼んでくださいました 一時は洋子さんに言われてローランドさんのお仕事もお手伝いしていました

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桐島洋子の「若い頃」に学ぶ、自分らしく輝くためのヒント

桐島洋子さんの若い頃の生き方は、時代を超えて、現代を生きる私たちに多くのインスピレーションを与えてくれます。彼女の人生から、自分らしく輝くためのヒントを探ってみましょう。

1. 世間の常識より「自分の価値観」を信じる

未婚での出産や、独自の家族観など、彼女は常に「普通」や「常識」に縛られませんでした。大切なのは、他人の評価ではなく、自分がどう生きたいか。その強い意志が、彼女を唯一無二の存在にしました。

周りの声に流されそうな時、彼女の生き方は「あなたの人生の主役はあなただ」と教えてくれます。

2. 「楽しむこと」に全力になる

桐島さんは「生きている限り必死に楽しむ」という姿勢を貫きました。仕事も、子育ても、旅も、すべてが彼女にとっては人生を味わい尽くすための舞台。無意味だと感じることに時間を費やすのではなく、心が躍ることに全力で取り組む。

そのシンプルな哲学が、人生を豊かにする秘訣なのかもしれません。

3. 変化を恐れず「旅の途中」と捉える

一つの場所に留まらず、常に環境を変え、新しい挑戦を続けた桐島さん。彼女にとって人生はゴールを目指すものではなく、「まだ旅の途中」のプロセスそのものでした。変化は怖いものではなく、新しい自分に出会うチャンス。

その軽やかなフットワークは、私たちに一歩踏み出す勇気を与えてくれます。

4. 人生のステージごとの楽しみ方を見つける「林住期」

50代で「林住期」を宣言し、人生の成熟期を謳歌した彼女の姿は、年齢を重ねることの素晴らしさを示しています。若い頃の情熱とは違う、穏やかで深い楽しみ方がある。ライフステージの変化を前向きに捉え、その時々で最高の生き方を見つける。

桐島洋子さんの人生は、まさにそのお手本と言えるでしょう。💖

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桐島洋子の生き方、静かに響く自律の音

まとめ:「翔んでる女」桐島洋子の伝説は終わらない

今回は、今再び注目を集める「元祖翔んでる女」桐島洋子さんの、波乱万丈な「若い頃」に焦点を当て、その生き方の原点を探りました。

三菱財閥の家系に生まれながらも、戦後の没落を経験し、母の教えを胸に「自立」の精神を育んだ幼少期。文藝春秋の記者として才能を開花させ、20代で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した鮮烈なデビュー。

そして、当時の常識を覆す「未婚の母」としての決断と、ベストセラー『聡明な女は料理がうまい』で時代に大きな影響を与えた作家としての一面。さらに、ベトナム戦争の従軍取材や世界中を旅した冒険家としての顔まで、彼女の若い頃はまさに伝説の連続でした。

この記事で見てきたように、彼女の若い頃のすべての経験が、後の「林住期」という独自のライフステージの考え方や、「DOer(行動する人)」という人生哲学に繋がっています。

そして、アルツハイマー型認知症と向き合う現在も、彼女が築いてきた家族との絆や、その鮮烈な記憶は輝きを失っていません。

娘・桐島かれんさんの『徹子の部屋』出演をきっかけに、私たちは桐島洋子という一人の女性の生き様から、時代や常識に流されず「自分らしく生きること」の尊さと力強さを改めて学ぶことができます。

彼女の物語は、これからも多くの人々に勇気とインスピレーションを与え続けることでしょう。