高知競馬で113戦0勝という成績で「負け組の星」として人気を集めたハルウララが、9月9日、繋養先の千葉県・マーサファームで老衰のため死んだ。29歳だった。引退馬協会の発表によると、同日午前2時20分に息を引き取ったという。
「ハルウララ」
最近、SNSでこの名前をよく見かけるなと思っていたんです。そういえば、人気ゲーム『ウマ娘』の英語版がリリースされて、海外のファンがざわついている、なんて話も耳にしました。
ああ、あの懐かしい「負け組の星」が、今また新しい形で注目されてるんだな、なんて微笑ましく思っていた矢先のことでした。
飛び込んできたのは、まさかの訃報。
「負け続けても、諦めない」。そのひたむきな姿で、約20年前の日本に勇気と笑顔をくれた名馬ハルウララが、29年の生涯に静かに幕を下ろしたというのです。なんで今?ついこの間、世界に羽ばたいたばかりじゃなかったの?
驚きと寂しさが同時に押し寄せてきて、思わず彼女のことを詳しく調べていました。なぜ彼女は、一度も勝てなかったのに、これほどまでに私たちの心を掴んで離さないのでしょうか。
その軌跡を辿ると、ただの「連敗馬」という言葉では片付けられない、愛と感動の物語が見えてきました。
突然の訃報…『ウマ娘』で世界が注目した矢先の悲しい知らせ
「え、本当に?」ニュース速報を見た時、多くの人がそう思ったんじゃないでしょうか。ハルウララが29歳で天国へ旅立ったという知らせは、本当に突然でした。つい最近、『ウマ娘 プリティーダービー』の英語版がリリースされたことで、海外の新しいファンが「決して諦めないウララ」のストーリーに感動し、SNSでも大きな話題になっていたばかり。
その人気は国境を越え、彼女が余生を過ごす牧場へ海外から支援が殺到するほどだったといいます。そんな、まさに人気が再燃していたタイミングでの訃報だったからこそ、驚きと悲しみが一気に広がりました。
SNSには、国内外から「信じられない」「悲しい」といった声が溢れ、瞬く間に「#ハルウララ」がトレンドを駆け巡りました。ファンが描いた追悼イラストも次々と投稿され、まるで世界中が彼女との別れを惜しんでいるかのようでした。
ウマ娘プロジェクトの公式Xも追悼メッセージを発表し、ゲームを通じて彼女を知った多くのファンが、その早すぎる(と言っても大往生ですが)別れに涙しています。この奇跡的とも言えるタイミングが、彼女の存在の大きさを改めて私たちに突きつけました。
関連ポスト / SNSの反応
【独自】さようなら、ハルウララ…〝113連敗した負け組の星〟が天国へと旅立っていた friday.kodansha.co.jp/article/438213 #フライデー
【訃報】 ハルウララ死す、29歳 #ハルウララ news.sp.netkeiba.com/?pid=news_view… Popular Japanese horse Haru Urara died aged 29.
ウマ娘をきっかけに世界各国の人達から愛されているハルウララ こんなに愛されてる馬は他にいないと思う pic.x.com/sLBCwr21AK
天国でも楽しく過ごしてね #ハルウララ #haruurara pic.x.com/M3k2689b0M
ウマ娘の世界では いつまでも楽しく走れますように #ハルウララ pic.x.com/bmS3I2pPe1
ハルウララ、おやすみ。 Goodnight,Haruurara. #ウマ娘 #ハルウララ #umamusume #haruurara pic.x.com/8uTvPwhWnM
you won our hearts 心を奪われました #HaruUrara #UmaMusume #ハルウララ #ウマ娘 pic.x.com/Lcq02uGGll
ハルウララ…29年間お疲れ様でした。 馬主には捨てられたが その他の人たちに最後まで愛されてきた 最強の馬だよ…😭 ハルウララを知って私と頑張ろうと勇気をくれました ウマ娘のハルウララを見て前向きに生きていこうと思います… 安らかに眠り、そしてご冥福をお祈りします。 その伝説を忘れない… pic.x.com/22CNi5SCbe
参考リンク
- 「負け組の星」ハルウララ死す 現役時代113戦で一度も勝てず 武豊も騎乗 - デイリースポーツ
- 『ウマ娘』“ハルウララ”が海外でも注目を浴びる。「才能はないが、決してくじけないウマ娘」の育成に注力するトレーナーが続出
- 113連敗した“負け組の星”が天国へ 人気アプリゲームの粋な追悼メッセージに競馬ファン涙「高知競馬を救った最大の功労馬」 | THE DIGEST
113戦0勝。でも「ただ弱いだけ」じゃなかったハルウララの真実
ハルウララといえば「113連敗」という衝撃的な記録。でも、調べてみると彼女は決して「ただ弱いだけの馬」ではなかったことがわかります。実は2着が5回、3着が7回と、あと一歩で勝利に届きそうなレースも何度もあったんです。
何より、年間20回もレースに出走できるほど体が頑丈で、どんなに負けても、次こそはとひたむきに走り続ける姿がありました。その姿が、当時の不景気で元気をなくしていた人々の心に火をつけ、「負け組の星」として社会現象を巻き起こしたのです。
彼女の人気はすさまじく、財政難だった高知競馬を救ったほど。彼女の「当たらない」単勝馬券は、逆に「交通安全」や「リストラ避け」のお守りとして爆発的に売れたというから面白いですよね。
2004年には、当時のトップジョッキー・武豊騎手が騎乗するというビッグイベントも。結果は10着でしたが、このレースは全国の注目を集め、高知競馬の売上記録を塗り替えるほどの熱狂を生みました。
武豊騎手が残した「良い馬ですよ。……他の馬より脚が遅いだけ」という言葉は、彼女の本質と彼なりの愛情が詰まった名言として、今も語り継がれています。勝てなくても、その存在だけで周りを明るくし、希望を与える。
それがハルウララの持つ、唯一無二の強さだったんですね。
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ハルウララの訃報が届きました。 残念です。 名手・武豊騎手も〝負け組の星〟の背中を知るひとり。 8歳春のデビュー106戦目、YSダービージョッキー特別で手綱を取って結果は⑩着。高知競馬場は大勢のファンの〝期待感〟で溢れました。 29年もの長き馬生、お疲れ様でした。 #ハルウララ #武豊 pic.x.com/W3oVbQC6VW
ハルウララが9日朝に29歳で旅立ったとのこと。父ニッポーテイオーも33歳の長寿であり、天寿を全うしたのでは。一時は消息不明とされた時期もありましたが、競走馬時代、引退後通じ、未勝利馬でこれほど関心を集めた馬も稀有で、力強い馬生。ただ安らかに friday.kodansha.co.jp/article/438213
ハルウララ、引退してからは十数年音沙汰なく消息不明になったり人間のイザコザばかり聞こえてきたりと「あの人は今」状態になっていたんですが、ウマ娘化してから再度国内外から愛されるようになって良かったなぁと感じますね。 中央馬でもない高知の全敗馬を抜擢した英断に今さらながら拍手。
もう二度と「ハルウララのような馬」を美談にしてはいけないけれど、ハルウララ自身は間違いなく高知を延命させたヒロインだしハルウララを引き取って最期まで面倒を見てくれた現オーナーさんはマジで偉すぎるので褒めるべき
二度とハルウララのような形で取り沙汰にされる馬が出てきませんように その上でハルウララには敬意が払われ続けますように
「春うららの会」を絶対に金儲けのための組織と思われてはいけないという覚悟を持ち 会員数も絞って晩年のハルウララの安寧に努めた人々への感謝がたえない ハルウララ自身はパブリックイメージとはちょっと異なり結構我が強い馬だったようだがそんな彼女をずっと守り続け愛し続けた人々に敬意を
ハルウララ死亡 マーサファームの宮原優子代表「最後までわがまま全開の、ウララらしいお別れでした」 #ハルウララ news.sp.netkeiba.com/?pid=news_view…
参考リンク
- ハルウララはなぜ負け続けたのに愛されたのか | 名馬&ジョッキー
- ハルウララに乗った武豊の名言!他にも名言を集めてご紹介! - ハナコネタ
- “負け組の星”ハルウララ死す 113連敗も当たらない馬券がお守りに 武豊騎乗、映画化と社会現象
ありがとうハルウララ。君が教えてくれた「諦めない心」
今回、ハルウララの訃報に触れて、彼女の生涯を改めて調べてみて、本当に胸がいっぱいになりました。ただの「負け続けた馬」じゃなくて、その裏にはたくさんの人の想いと、彼女自身の頑張りがあったんですね。
現役引退後は、決して順風満帆ではなかった時期もあったと知って、胸が痛みました。でも、最後はたくさんの愛情に包まれて、穏やかな日々を過ごしていたこと、そして『ウマ娘』を通じて、世代や国境を越えて再び愛される存在になったことを知って、本当に良かったなと思います。
勝ち負けだけが全てじゃない。ひたむきに頑張り続ける姿そのものが、誰かに勇気を与える力になる。ハルウララは、そのことを身をもって教えてくれました。きっと今頃、虹の橋の向こうで、思いっきり駆け回っていることでしょう。
たくさんの感動と勇気をありがとう。あなたのことは、ずっと忘れません。