メジャー通算3089安打を誇り、アジア人選手として今年1月に初めて米野球殿堂入りを果たしたマリナーズ会長付特別補佐兼インストラクターのイチロー氏(51)が27日(日本時間28日)、米ニューヨーク州クーパーズタウンで表彰式典に出席。
日本時間午前6時9分から28分までの19分間、英語によるスピーチを披露した。 唯一、日本語で感謝を伝えたのは日本人メジャーリーガーのパイオニア、野茂英雄氏だった。
NPBからMLB挑戦という流れを作り出し、自身の支えになった先輩に「野茂さん、ありがとうございました」と頭を下げた。
出典: イチロー氏が米殿堂式典で英語スピーチ 唯一日本語を使った野茂英雄氏への感謝「野茂さんがいなかったら…」 - エキサイト
「野茂さん、ありがとうございました」。2025年7月、イチロー氏が米野球殿堂入りのスピーチで、日本人メジャーリーガーのパイオニアである野茂英雄氏へ日本語で感謝を述べたことが大きな話題となりました。
この出来事をきっかけに、野茂英雄氏の偉大な功績が再び脚光を浴びています。そして同時に、彼の挑戦を陰で支え続けた家族、特に妻である野茂紀久子さんへの関心も高まっています。
多くの批判を受けながらもメ ジャーへの道を切り開いた野茂氏。その隣には、常に紀久子さんの存在がありました。この記事では、これまであまり語られてこなかった野茂英雄氏の妻・紀久子さんに焦点を当て、二人の出会いから結婚、そして家族の物語を、最新の情報と共にお届けします。
知られざる彼女の経歴や、夫婦の絆、そして子供たちの現在まで、深く掘り下げていきます。
なぜ今、野茂英雄の妻に注目?イチロー氏の言葉がきっかけに
2025年7月27日(日本時間28日)、球史に名を刻むイチロー氏が、米野球殿堂入りの表彰式典で感動的なスピーチを行いました。19分間にわたる英語のスピーチの中で、ただ一度だけ使われた日本語。
それは、日本人メジャーリーガーの道を切り開いた偉大な先駆者、野茂英雄氏への感謝の言葉でした。「野茂さん、ありがとうございました」。この一言は、多くの日本の野球ファンの胸を打ち、野茂氏の功績を改めて世に知らしめるきっかけとなりました。
野茂英雄氏といえば、1995年に単身アメリカへ渡り、近鉄バファローズからメジャーリーグのロサンゼルス・ドジャースへ移籍。「トルネード投法」と呼ばれる独特なフォームで三振の山を築き、その年の新人王を獲得、さらには2度のノーヒットノーランを達成するなど、輝かしい功績を残しました。
しかし、彼の挑戦は決して平坦な道ではありませんでした。当時はまだNPBからMLBへの移籍は前例が少なく、「裏切り者」とまで揶揄されることもあったのです。そんな四面楚歌の状況の中、彼を精神的に支え、異国の地での生活を共に乗り越えたのが、妻の紀久子さんです。
イチロー氏のスピーチによって野茂氏の功績が再評価される今、その偉業の陰にあった紀久子さんの献身的な支えにも、多くの関心が寄せられているのです。
関連ポスト / SNSの反応
イチローさんのスピーチ、凄く良いですね!野茂英雄のところとか!格好良い!野茂英雄とかイチローのプレーを観れた事の幸せ!本当、生涯野球人ですね!全訳してくれた人、ありがとうございます😊
イチローも大谷翔平も英雄(ヒーロー)だけど、日本人メジャーリーガー最大の功労者はやはり野茂英雄だと思う。 イチロー氏、米殿堂表彰式典で19分間の英語スピーチ 弓子夫人への感謝…日本語で「野茂さん、ありがとうございました」
参考リンク
野茂英雄の妻・野茂紀久子さんのプロフィールと知られざる経歴
野茂英雄氏を陰で支え続けた妻、野茂紀久子(のも きくこ)さん。彼女は一体どのような人物なのでしょうか。公にされている情報は多くありませんが、その経歴を辿ってみましょう。
紀久子さんの旧姓は森本さんといい、野茂氏よりも年上であると言われています。出身地や生年月日は公表されていませんが、関西出身ではないかという情報もあります。彼女が注目される理由の一つに 、その美しい容姿と、元チアリーダーという華やかな経歴があります。
野茂氏と出会った当時、紀久子さんは社会人野球チームのチアリーダーとして活動していました。どのチームに所属していたかは、パナソニックや東芝の対戦相手チームなど諸説ありますが、その美しさは当時から評判で、週刊誌などで取り上げられたこともあったそうです。
しかし、野茂氏と結婚してからはメディアへの露出はほとんどなく、夫を支え、家庭を守ることに専念されてきました。表舞台には立たず、しかし確かにそこにいて、パイオニアの挑戦を力強く支え続けた紀久子さん。
その控えめながらも芯の強い人柄が、数々の情報からうかがえます。
参考リンク
運命の出会いから結婚へ:野茂英雄と紀久子さんの馴れ初め
二人の出会いは、野茂氏がまだプロ野球選手になる前の、新日鐵堺に所属していた社会人野球時代に遡ります。当時、対戦相手チームのチアリーダーとして応援していた紀久子さんの姿が、マウンド上の野茂氏の目に留まりました。
その美しさに一目惚れした野茂氏は、すぐさま猛アタックを開始したそうです。その情熱が実を結び、1989年頃から二人の交際はスタートしました。約2年間の交際期間を経て、野茂氏が近鉄バファローズに入団し、プロ野球選手としての一歩を踏み出した後の1991年に、二人は結婚しました。
プロとして、そして一人の人間として、これから先の人生を共に歩んでいくことを決意したのです。公の場で多くを語らない夫妻ですが、若き日の野茂氏の熱烈なアプローチから始まった恋が、今も続く固い絆の原点となっていることは間違いありません。
まさに運命的な出会いが、後のメジャーリーグ挑戦という偉業を成し遂げる原動力の一つとなったのでしょう。
メジャー挑戦という荒波を共に:献身的に支えた夫婦の絆
野茂英雄氏のメジャーリーグ挑戦は、今でこそ多くの選手が続く道となりましたが、当時は前例の少ない無謀な挑戦と見なされ、日本国内からは多くの批判が巻き起こりました。
そんな逆風の中、紀久子さんは夫と共にアメリカへ渡り、慣れない土地での生活をスタートさせます。言葉の壁や文化の違い、そして夫にかかる計り知れないプレッシャー。そ の全てを共有し、家庭を守ることで野茂氏を支え続けました。
公の場に姿を見せることはほとんどありませんでしたが、彼女の存在がなければ、野茂氏が「トルネード旋風」を巻き起こすことは難しかったかもしれません。長年にわたる支え合いによって築かれた二人の絆は非常に強く、現在も夫婦仲は極めて円満であると言われています。
プライベートをほとんど明かさない野茂氏ですが、その静かな生活の中に、紀久子さんとの穏やかで固い信頼関係が続いていることがうかがえます。
二人の息子たち:野茂家の子供たちの現在
野茂英雄氏と紀久子さんの間には、二人の息子さんがいます。長男は野茂貴裕(のも たかひろ)さん。1992年生まれの貴裕さんは、3歳の時に父親のメジャー挑戦に伴い渡米し、アメリカで育ちました。
そのため英語が堪能なバイリンガルであり、さらにスペイン語も話せるトリリンガルとして知られています。その語学力を活かし、2015年から2018年まではプロ野球・北海道日本ハムファイターズで通訳として活躍していました。
偉大な父と同じ野球の世界で、異なる形でチームに貢献していたのです。一方、次男については名前や経歴など、詳しい情報はほとんど公にされていません。これは、プライベートを大切にす る野茂夫妻の意向を反映してのことでしょう。
二人の息子たちが、父の偉大な背中を見てどのように成長し、それぞれの道を歩んでいるのか。特に長男・貴裕さんのように、国境を越えて活躍する姿は、グローバルな環境で育った野茂家ならではと言えるかもしれません。
参考リンク
まとめ:野茂英雄の伝説を支えた妻・紀久子さんの存在
イチロー氏の殿堂入りスピーチをきっかけに、再び注目を集めている野茂英雄氏。彼の成功の裏には、常に妻・紀久子さんの献身的な支えがありました。社会人野球時代にチアリーダーをしていた紀久子さんに野茂氏が一目惚れしたことから始まった二人の物語。
プロ入り、そして前例のないメジャーリーグへの挑戦と、激動の野球人生を共に歩んできました。特に、周囲からの猛反対を押し切っての渡米は、夫婦にとって大きな試練だったはずです。
しかし、紀久子さんは表舞台に出ることなく、慣れない異 国の地で家庭を守り、夫がマウンドに集中できる環境を整えました。そのおかげで野茂氏はMLBで数々の金字塔を打ち立て、日本人選手の新たな道を切り開くことができたのです。
また、二人の間には貴裕さんと、もう一人の息子さんがおり、長男の貴裕さんは語学力を活かして日本ハムで通訳を務めるなど、父とは違う形で野球界に関わっていました。野茂英雄という偉大な選手の功績を語る上で、妻・紀久子さんの存在は決して欠かすことのできないものです。
彼女の支えがあったからこそ、私たちはトルネード投法の興奮と感動を味わうことができたと言っても過言ではないでしょう。