みんな甲子園、甲子園と言って、一瞬喜ぶのですが、甲子園ほど初戦で負けて悔しく思う場所はないので、1回戦で負けるくらいなら出ない方がマシだというくらいの気持ちで。
今日はゆっくり休んでいいけれども、あしたから本当に甲子園で戦うんだという。やはり、負けたチームのみんなの分まで力を振り絞ってやらなきゃいけないと言いたいですし、喜んでいるのはつかの間だけだと。
次の甲子園に向けての戦いが、気を引き締めてあしたから始まるん
出典: 【高校野球】明秀学園日立が3年ぶり2度目の甲子園へ 好救援の中岡誠志郎は「魂を込めて投げました」 (2025年7月27日) - エキサイトニュース
2025年7月27日、高校野球ファンの視線は茨城に釘付けになりました。明秀学園日立が延長10回タイブレークの激闘の末、藤代高校を破り、3年ぶり2度目の夏の甲子園出場を決めたからです。
この劇的な勝利の裏には、一人の名将の存在があります。それが、明秀日立野球部を率いる金沢成奉(かなざわ せいほう)監督です。
「金沢監督」と聞けば、巨人・坂本勇人選手を育てた光星学院時代の輝かしい実績を思い浮かべる人も多いでしょう。しかし、その道のりは決して平坦なものではあり ませんでした。
過去の「勝利至上主義」からの脱却、コロナ禍をきっかけとした指導哲学の大きな転換、そして学校との契約を巡る”解任騒動”――。多くの困難を乗り越えてきたからこそ、彼の言葉や指導には、他の誰にも真似できない重みと深みがあります。
この記事では、単なる経歴紹介にとどまらず、最新の甲子園出場というニュースを切り口に、金沢監督の人間性、指導哲学の変遷、そして彼がなぜ多くの選手や関係者から慕われるのか、その”知られざる素顔”に深く迫ります。
高校野球ファンはもちろん、リーダーシップや人材育成に関心のある方にも必見の内容です。
明秀日立を導く名将・金沢成奉監督の経歴と素顔
まずは、明秀日立野球部を甲子園へと導く金沢成奉監督が、どのような人物なのか、その経歴を振り返ってみましょう。監督の指導者としてのルーツは、青森の強豪・光星学院(現・八戸学院光星)にあります。
金沢監督は1966年11月13日生まれ、大阪府吹田市の出身です。太成高校から東北福祉大学へ進学し、大学時代には選手だけでなく学生コーチも経験。この頃から指導者としての片鱗を見せていたのかもしれませんね。
大学卒業後は一度会社員となりますが、野球への情熱は冷めず、母校・東北福祉大学のコーチを2年間務めました。
そして1995年、金沢監督の運命を大きく変える転機が訪れます。青森県の光星学院高校の監督に就任したのです。ここから、彼の「名将」としての伝説が始まりました。
春夏合わせて8度の甲子園出場を果たし、特に巨人・坂本勇人選手やロッテ・田村龍弘選手など、数多くのプロ野球選手を育成した手腕は高く評価されています。2011年夏から2012年夏にかけて達成した、甲子園「3季連続準優勝」という偉業は、今も高校野球ファンの間で語り草となっています。
まさに「鬼軍曹」とも呼ばれるほどの厳しい指導で 、チームを全国屈指の強豪へと育て上げたのです。
そんな輝かしい実績を手に、金沢監督は2012年9月、新たな挑戦の地として茨城県の明秀日立高校を選びました。光星学院時代の「常勝」のイメージを背負い、明秀日立でもその手腕が期待される中、彼の新たな野球人生が幕を開けたのです。⚾️
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㊗️明秀日立野球部の甲子園出場おめでとうございます🎉 BlueFairiesの甲子園でのご活躍を楽しみにしております🙌 #北茨城市 #明秀学園日立高等学校 #BlueFairies #チアリーディング #夏の甲子園 #高校野球
明秀日立野球部 3年ぶり2回目の甲子園出場、おめでとうございます㊗️🎉 甲子園での活躍も期待しています。 日立の名前を何度も聞かせてください。 #日立市 #茨城県議会 #村本しゅうじ
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明秀日立を強豪へ!金沢監督の功績と育てたプロ野球選手
光星学院での華々しい実績を持つ金沢監督ですが、明秀日立での道のりは決して簡単なものではありませんでした。「3年以内に甲子園」という目標を掲げましたが、初出場までには5年の歳月を要します。
しかし、その間も着実にチームを強化し、茨城県の高校野球勢力図を塗り替えていきました。
ついにその時が来たのは2018年のセンバツ。金沢監督は、明秀日立を春夏通じて初の甲子園出場へと導きます。これは学校の歴史に新たな1ページを刻む快挙でした。
その後も、2022年には春夏連続出場を果たすなど、チームを甲子園の常連校へと成長させ、今回の2025年夏で、監督として4度目の聖地の土を踏むことになります。🔥
金沢監督の凄さは、チームを勝利に導くだけでなく、選手の育成能力にもあります。明秀日立からも、プロの世界で活躍する選手を輩出しているのです。代表的なのが、現在、中日ドラゴンズで4番として活躍する細川成也選手です。
彼のパワフルなバッティングは、金沢監督の指導のもとで磨かれました。奇しくも、母校が甲子園出場を決めた日、細川選手は2打席連続ホームランを放ち、祝砲をあげています。
他にも、読売ジャイアンツの増田陸選手など、多くの教え子がプロの舞台で輝きを放っています。
単に勝つだけでなく、選手の未来まで見据えて育成する。これこそが、金沢監督が名将と呼ばれる所以なのでしょう。彼の指導が、明秀日立を茨城屈指の強豪校へと押し上げたことは間違いありません。
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鬼軍曹から教育者へ。金沢監督の指導法を変えたコロナ禍の衝撃
「甲子園に取り憑かれていた」「勝利にこだわりすぎていた」。金沢監督は、かつての自分をそう振り返ります。光星学院時代、勝利を至上命題とし、厳しい指導で選手を鍛え上げるスタイルは「鬼軍曹」と称されるほどでした。
しかし、そんな彼の指導哲学を根底から揺るがす出来事が起こります。それが、2020年の新型コロナウイルス感染拡大と、それに伴う夏の甲子園中止でした。
目標を突然奪われた選手たちの姿を目の当たりにし、金沢監督は「指導者が本当に果たすべき役割とは何か」を深く自問自答したと言います。そして、たどり着いたのが「全員野球」という新たな境地でした。😲
それまでの金沢監督は、効率を重視し、ベンチ入りメンバーとサポートメンバーの練習を明確に分けていました。しかし、コロナ禍を経て行われた代替大会で、3年生部員31人全員を試合に起用した経験が、彼を大きく変えたのです。
「補欠を作らない」という方針を掲げ、時間がかかっても全部員が同じメニューをこなすスタイルへと転換。野球の技術だけでなく、困難な練習に全員で取り組む中で、選手の人間的な成長を促すことを何よりも重視するようになったのです。
もちろん、厳しさがなくなったわけではありません。しかし、その根底にあるのは「野球を通じて人間性を育み、社会で通用する人間になってほしい」という深い愛情です。叱るという行為にも、指導者としての覚悟と勇気が必要だと語る金沢監督。
勝利至上主義から、選手の未来を見据えた「教育者」へ。この大きな変化こそが、現在の明秀日立の強さの源泉となっているのかもしれません。
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金沢監督が自身の指導哲学や坂本勇人選手とのエピソードについて語る貴重な対談動画です。監督の人間味あふれる一面が垣間見えます。
対談の後半では、細川成也選手など教え子たちの学生時代や、現代の野球指導について熱く語られています。指導者必見の内容です!
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#明秀日立 3年ぶりの甲子園出場㊗️ 金沢成奉監督の波瀾万丈の半生や指導論は構成を務めたこちらの書籍で たっぷりと書かれているのでぜひ!#高校野球
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なぜ?明秀日立・金沢監督の解任騒動、その真相と驚きの結末
2022年、明秀日立が春夏連続で甲子園に出場し、チームがまさに黄金期を迎えようとしていた矢先、衝撃的なニュースが飛び込んできました。「金沢監督、契約更新せず」――。
いわゆる”解任騒動”です。
この騒動の発端は、当時の学校法人の理事長が、少子化による経営難を理由に、金沢監督との契約を2024年8月で更新しない方針を一方的に通告したことでした。この決定はすぐに外部に漏れ、大きな波紋を呼びました。
なぜ、これほどの実績を上げた監督が?と、多くのファンや関係者が首を傾げました。😥
しかし、この状況を黙って見過ごさなかったのが、野球部のOBや保護者たちでした。彼らは「金沢監督後援会」を結成し、監督の続投を求める嘆願書を作成。瞬く間に約3000通もの署名が集まり、学校側に提出されたのです。
この迅速な行動は、金沢監督がどれだけ選手や保護者、そして地域から厚い信頼を寄せられているかの何よりの証拠でした。
そして、運命の2022年10月21日。学校法人の理事会が開かれ、驚きの結末が待っていました。混乱を招いた責任を取る形で、理事長が辞任を表明。そして残りの理事たちが、満場一致で金沢監督との契約を2024年9月以降も継続することを決定したのです。
まさに、異例のどんでん返しでした。
この一連の騒動は、金沢監督が単なる野 球部の指導者ではなく、学校の知名度向上や地域活性化にも貢献する、唯一無二の重要な存在であることを改めて浮き彫りにしました。多くの人々の想いが、名将をグラウンドに引き留めたのです。
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我が母校『明秀学園日立高等学校』野球部⚾️ 3年ぶり甲子園出場‼️ まだまだ熱い夏☀️は始まったばかり、甲子園でも明秀魂で旋風🌪️を巻き起こしてくれ❣️ #明秀日立 #明秀野球 #明秀日立野球部 #全国高校野球選手権大会
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金沢監督の著書『野球で人生は変えられる』に込めた熱い想い
金沢監督の指導哲学や人生観をより深く 知りたい方におすすめなのが、2022年8月に出版された著書『野球で人生は変えられる〜明秀日立・金沢成奉監督の指導論〜』です。
この本のタイトルには、監督が野球を通じて選手たちに伝えたいメッセージが凝縮されています。野球は、ただボールを投げたり打ったりするだけのスポーツではない。礼儀や感謝、仲間との協調性、そして困難に立ち向かう勇気など、人生を豊かにするための全てが詰まっている、と金沢監督は考えています。
書籍の中では、光星学院時代から明秀日立に至るまでの波乱万丈な指導者人生を振り返りながら、彼がどのようにして独自の指導論を築き上げてきたかが赤裸々に語られています。
坂本勇人選手をはじめとする教え子たちとの心温まるエピソードや、”解任騒動”の裏側で感じていたこと、そしてコロナ禍を経てたどり着いた「全員野球」の哲学など、ここでしか読めない貴重な話が満載です。
技術指導だけでなく、選手の心を育て、人間的成長を促すこと。それこそが、金沢監督が最も大切にしていることです。この本を読めば、なぜ彼のもとで多くの選手が才能を開花させるのか、その理由がきっとわかるはずです。
野球少年少女を持つ親御さんや、組織のリーダーにとっても、多くの学びと感動を与えてくれる一冊と言えるでしょう。📖
創立100周年の夏!明秀日立、金沢監督と挑む2025年甲子園
そして物語は、現在へと繋がります。2025年夏、明秀日立は再び甲子園の舞台に戻ってきました。茨城大会決勝では、藤代高校との息詰まる熱戦を展開。延長10回タイブレークの末に4-3で勝利を掴み取りました。
この試合では、エース級の信頼を置かれる中岡誠志郎選手が途中リリーフで好投するなど、まさに金沢監督が掲げる「全員野球」を体現したかのような勝利でした。
さらに、今回の甲子園出場は、明秀学園日立高等学校の創立100周年という記念すべき年を彩る、特別なものとなりました。学校の歴史に、また一つ輝かしい栄光を刻んだのです。💯
しかし、金沢監督は勝利の余韻に浸ることはありません。試合後のインタビューで、彼はすでに「次」を見据えていました。
「みんな甲子園、甲子園と言って、一瞬喜ぶのですが、甲子園ほど初戦で負けて悔しく思う場所はないので、1回戦で負けるくらいなら出ない方がマシだというくらいの気持ちで。…喜んでいるのはつかの間だけだと。次の甲子園に向けての戦いが、気を引き締めてあしたから始まる」
この言葉に、甲子園という舞台の厳しさを知り尽くした名将の覚悟が滲み出ています。目標は、ただ出場することではない。甲子園で勝ち、茨城県の、そして敗れていったライバルたちの想いを背負って戦い抜くこと。
数々の困難を乗り越え、指導者として、人間として、より深みを増した金沢監督が、この記念すべき夏にどんな采配を振るうのか。明秀日立の「次の戦い」から、目が離せません!
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明秀学園日立の公式TikTokでは、野球部の応援の様子や、甲子園出場決定の喜びが伝わる動画が投稿されています。ぜひチェックしてみてください!
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明秀日立、3年ぶりの夏の甲子園へ 藤代をタイブレークで振り切る
明 秀日立、藤代とのタイブレイク制し3年ぶり2度目の夏の甲子園…能戸輝夢主将「茨城県の人に元気を届けられるような全力プレーを」
まとめ:明秀日立・金沢監督の魅力とは?人間味あふれる指導者の軌跡
今回は、2025年夏の甲子園出場を決めた明秀日立高校野球部の金沢成奉監督について、その知られざる素顔と指導哲学の変遷に迫りました。
記事のポイントを振り返ってみましょう。
- 輝かしい経歴: 光星学院時代に坂本勇人選手らを育て、甲子園3季連続準優勝を達成。明秀日立でも初の甲子園出場やプロ選手輩出など、確かな実績を築いてきた。
- 指導哲学の転換: かつての「勝利至上主義」から、コロナ禍を機に「補欠を作らない」「全員野球」へと指導方針を大きく転換。選手の人間的成長を第一に考える教育者へと変貌を遂げた。
- 解任騒動の克服: 2022年には契約を巡る”解任騒動”に見舞われるも、OBや保護者からの熱烈な支持を受け続投が決定。地域にとっても不可欠な存在であることが証明された。
- 100周年の甲子園へ: 学校創立100周年の記念すべき年に、劇的な勝利で甲子園出場を達成。しかし本人は満足することなく、すでに「次の戦い」を見据えている。
金沢監督の魅力は、単に野球の指導が上手いというだけではありません。挫折や葛藤を経験し、自らの信念を変化させることを恐れない柔軟さ。そして、何よりも選手一人ひとりの人生と向き合う深い愛情。
その人間味あふれる姿こそが、多くの人々を惹きつけるのではないでしょうか。
勝利という結果を追い求めながらも、その過程で選手たちが何を学び、どう成長していくかを大切にする。金沢監督の指導論は、変化の激しい現代社会を生きる私たちにとっても、多くのヒントを与えてくれます。
創立100周年の節目に挑む聖地・甲子園で、金沢監督と明秀日立ナインがどんなドラマを見せてくれるのか、心から楽しみにしたいと思います。