最近、SNSで「無言の帰宅」という言葉がやたらと話題になっているのを見かけませんか?正直、僕も最初は「仕事で疲れて、黙って家に帰ってきたのかな?」くらいに思っていました。
でも、どうやら様子がおかしい。「行方不明だった夫が無言の帰宅となりました」という投稿に、「生きててよかった!」というコメントが殺到し、それが大炎上しているというのです。
「え、なんで?善意のコメントじゃん」と不思議に思って詳しく調べてみたら、そこには僕たちが知らなかった、言葉の衝撃的な真実が隠されていました。多くの人が信じていた意味とは全く違う、その言葉の本当の重み。
今回の騒動は、ただの言葉の誤解では済まされない、現代のコミュニケーションが抱える根深い問題を見せつけられるきっかけになりました。
衝撃…「無言の帰宅」の、本当の意味
「無言の帰宅」って、てっきり「黙って帰ってくること」だと思ってました。でも、調べてみて愕然。本当の意味は「亡くなった人が遺体となって家に帰ること」を指す、とても重い言葉だったんです。
もともとは報道機関が事件や事故のニュースで、遺族の気持ちに配慮して直接的な表現を避けるために使ってきた、いわば日本語の心遣いから生まれた婉曲表現でした。国語辞典にも載っているこの言葉、X(旧Twitter)の投稿を調べてみると、その歴史は意外と古く、昭和10年代にはすでに使われていたようです。
小説家の有栖川有栖さんのアカウントも指摘していましたが、これは隠語ではなく「換喩」という表現方法なんですね。言葉を知っている人からすれば常識でも、知らない人にとっては全く想像もつかない意味。
このギャップが、今回の悲劇的なすれ違いを生んでしまったようです。SNSでは「普通にニュースで使われてる」という声もあり、実際に安倍元総理の際にも使われたという投稿も見つかりました。
知っているのが当たり前なのか、それとも知らなくても仕方ないのか。この時点で、すでに大きな議論が巻き起こっていました。
関連ポスト / SNSの反応
「この言葉はいつから使われるようになったのか?」という疑問を持ったとき、最近は国立国会図書館デジタルコレクションで検索するのが定跡になった。そこで調べてみた限りでは、「無言の帰宅」という言葉が「遺体になって自分の家に帰ること」という意味で使われ始めたのは、昭和十年代ぐらいだった。
>遺骸は、叔父の意見に従つて、一旦本邸の方へ送られる事になつた。無言の帰宅。――其変り果てた顔を見て、父はもう何も云はなかつた。 (久米正雄「吾亦紅」『新作大衆小説全集 第3巻』1939年刊) dl.ndl.go.jp/pid/1109129/1/…
語彙についてのポストの中で、「無言の帰宅」や「二階級特進」を隠語と呼んでいる人が散見されますが、そういうのは隠語 (ある分野の仲間内で使われる独特の言葉) ではなく換喩ですね。 (有栖川)
「無言の帰宅」だとたいがい「亡くなって遺体が戻っていた」と解釈されると思うんだが、「無言で帰宅」だと生きて帰ってきたと解釈する人が非常に増える気がしている
安倍元総理「無言の帰宅」 pic.x.com/bYAAW2jI2B x.com/AkinobuNakamot…
返信先:@tori_555 「無言の帰宅」が小説特有の定型文みたいな扱いされてるけど、普通にニュースで使われてるし、現代口語として死語との指摘は全く当たらないと思う。 pic.x.com/1HQYuA1OjY
参考リンク
- 無言の帰宅(ムゴンノキタク)とは? 意味や使い方 - コトバンク
- 「無言の帰宅」がいつから使われ始めたのか気になったので国立国会図書館デジタルコレクションで調べてみたら、「遺体になって自分の家に帰ること」という意味では、昭和十年代ぐらいだった - Togetter
なぜ誤解が?SNSを二分した「知ってる/知らない」論争
今回の騒動の発端は、Threadsに投稿された「行方不明だった夫が無言の帰宅となりました」という一文。これに対し、言葉の本当の意味を知らないユーザーから「命があってよかった」「今はそっとしてあげて」といった善意のコメントが殺到しました。
悲しみの報告が、祝福のメッセージで埋め尽くされるという、あまりにも皮肉な状況。このすれ違いがXで拡散されると、「言葉を知らないのは問題だ」と批判する声と、「知らなくても仕方ない」「言葉は変わるもの」と擁護する声で、SNSは真っ二つに割れました。
特に「ラノベ1800冊読んだけど知らなかったから死語」という投稿は大きな注目を集め、それに対して「創作物だけでなくニュースにも触れた方がいい」といった意見がぶつかり合うなど、世代や文化の違いを浮き彫りにする論争に発展。
一方で、「わからないならスマホで調べればいいのに」という至極もっともな意見も多く見られました。誰もが情報発信できる時代だからこそ、言葉の背景を理解せずに反応してしまうことの危うさ。
そして、善意が必ずしも相手を救うとは限らないという現実を、まざまざと見せつけられた気がします。直木賞作家の井上荒野さんが「ああ、こういう世界で私は小説を書いているのだなあとグッタリした」と投稿した気持ちが、少しだけわかったような気がしました。
関連ポスト / SNSの反応
:tweet:{"content":"SNS上の「行方不明だった夫が無言の帰宅となりました」という報告に対して、「命があってよかったです」「今は色々聞かないであげて下さい」とレスしている人々がいて、びっくりした - Togetter","url":"https://vertexaisearch.cloud.google.com/grounding-api-redirect/AUZIYQFqZURRFdf908vAfvD-0teBKUxgoffty5JD7CiQnP8a_d4ShAyJh0ovRJ7qtLtXLG-O6XPJihKmdCo4-YuBf2fQ0AfpE6mN23KuMAUcfwL1KzFW1NEu1Uu-FB8="}:/tweet:
ライトノベル1800冊読んでも出てこないから「無言の帰宅」は死語なんではないかという斜め上な内容のポストを読んでちょっと考えてたんだけど、特に一人称が多いラノベ系では確かに出てこないかもなと思いつつ、創作物だけではなく新聞やニュースにもたまには触れた方がいいんではとも思う
「無言の帰宅」のやつ、言葉を知ってる知らない以前に「おや?と思ったら/分からなかったら調べる」ということができない人が多くいることを示しているよな。誰もがスマホを持っているのに。
無言の帰宅の件、「最近の若者は慣用句も知らないし文脈も読めない」は観測バイアスで、正しくは「SNSの発達によって彼らも世界に向けて言葉を放つことができるようになった」でしょう。 婉曲表現を理解できない人自体は昔からいた
こういう人は昔からいたんだと思う。リーディングスキルと同じでSNSで可視化されただけでは。/SNS上の「行方不明だった夫が無言の帰宅となりました」という報告に対して、「命があってよかったです」「今は色々聞かないであげて下さい」とレスしている人々 buff.ly/gJcUcP8
「無言の帰宅」という言い回しを知らない人がいる、というのを、ちょっと馬鹿にした感じで言っている人たちの投稿を目にしたんですが、 これは単なる知識を知っている、知らないだけの問題なので、バカにしてはいけないかなあ、と。僕も知らない単語や表現が多いです。
実際に夫を亡くした方を尻目に「無言の帰宅が、わからない!?」でやいのやいのと教養万博を開くのが、「知識人」的所作かと言われると……
参考リンク
- X民「無言の帰宅なんてわかるわけないじゃん、ふつうに"死んだ"って書け」→直木賞作家・井上荒野さん「ああ、こういう世界で私は小説を書いているのだなあとグッタリした」 - まとめダネ!
- ラノベ1800冊読んできたけど「無言の帰宅」を知らなかった→報道などで使われる頻度が下がり死語に近づいているのか、ラノベが偏っているのか - Togetter
- スマホを持ちながら調べない大人たち〜「無言の帰宅」誤解事件が映す現代の闇 - note
言葉の重みと、すれ違う善意の行方
今回「無言の帰宅」を調べてみて、言葉一つでこんなにも世界の見え方が変わるのかと、正直、背筋が寒くなりました。最初は「知らない方が悪い」なんて単純に思っていたけど、掘り下げてみると、世代間の文化の違いや、SNSというメディアの特性、日本語の奥深さまで、いろんな問題が絡み合っていることがわかりました。
大切なのは、知らないことを責めることじゃなく、わからない言葉に出会ったとき、一呼吸おいて調べてみることなのかもしれません。そして、画面の向こうには、自分とは違う背景を持った「人」がいることを忘れないこと。
善意のつもりの一言が、誰かを深く傷つけてしまうかもしれない。この一件は、そんな当たり前だけど忘れがちなことを、僕たちに強く教えてくれた気がします。